談林サロン

DANRIN SALON

<小説・密厳國紀>霧生丸編⑫「霧生丸の僧室」

2020/07/23

奈落に沈んでいた霧生丸の意識が戻りはじめている。あれから三昼夜。
鑁大阿は一刻ぐらいで目覚めるかと言われたが、よほど深い傷なのか痛みなのかあるいは闇に落ちていたのか。
青顧は霧生丸のために印を結び祈り真言を微音で唱え続けている。
ようやく霧生丸の呼吸が落ち着いてきた.
「間も無くだな」
青顧は霧生丸の枕元に安座して印を解いた。

「声が聞こえる、己の心の最奥から聞こえてくる。観音の声か、母の声か。霧生丸の実名を呼ぶ声は母か菩薩。有り難い。すると身体が浮かんでくる。心地よい軽やかさで身体が浮かんでくる。深い闇の奈落から上方の光に向かって。心身の中の汚泥が洗われたのか、ただの気の迷いか。」
霧生丸は自らの浮遊感と戯れるように楽しみ心が生まれ、微笑んでいた。「俺がわらえるとはな。」

目が覚めた。天井が見える。狭い二畳ほどの部屋か。目線を足元に移していくと板戸が見える。右側には襖があり押入れがあるようだ。
左手は障子で光が届く。
「この明かりで目覚めたのか。違う。声だ。声が俺の真奥に語りかけた。しかも実名で。」

頭を頭上に向けて思わずハッとした。
先程の脇僧が霧生丸の顔を覗き込んでいる。
「目覚めたな。」
霧生丸は驚き慌てて起き上がり布団の脇に控えた。急に動いたのか節々が固く痛みもある。
「はい、昨夜から久しぶりによく眠れ、不思議な声で目が覚めました。闇から救われるような。」
「そなたはもう三日三晩寝続けていた。どうやら身体に毒が溜まっていたのか、鑁大阿の薬湯を時折含ませたので、ほとんど抜けたようだ。」
「私は青顧、そなたの導き役になったので何事も聞くが良い。そなたは心に深い傷を負って記憶が消えていたり繋がらないのか。」
「私は霧生丸と申します。助けて頂いて有難う御座います。なぜここにおるのかもわかりません。」
「ここに来た、それがそなたの仏縁、勝縁だな。」まずは身体を癒しゆっくりこの院、海剛山院で学べばよかろう。」
「美しいお顔だ、それ以上に美しい声だ。天人菩薩の声は珠を転がすというが青顧様の声の美しさは心に届いてくる。」
「後ほど風呂に案内(あない)してやる、それから食堂(じきどう」で食事だ。
明日は早暁から院をあないするが一日二日ではあない仕切れない。要の場所だけ二日であないするから、あとは自由に見て覚えろ。この院は他のどこの法城、山寺とも異なる。驚く事も多々あろうがなんでも聞くが良い。」
「今一度この薬湯を飲んで休め。目覚めたころに迎えに来る。」と言って障子を開けて立ち去られた。
薬湯が身体に染み渡る。三日三晩も寝たはずなのにまた心地良い眠気が襲って来る。